第8章:完璧なシナリオ
もくじ
~行事のプレッシャーとプロセス~
1. 鬼演出家の誕生
11月。生活発表会まであと2週間。 保育室は、ピリピリとした空気に包まれていた。今年の4歳児クラスの演目は劇『桃太郎』だ。
「ストップ! 違うでしょ!」
鈴木の怒鳴り声が響く。舞台に見立てたスペースでは、キジ役のユウマがビクッとして立ち尽くしていた。 「ユウマくん、そこは『ケンケン』って言いながら飛ぶの! 何回言ったら分かるの?」
ユウマは涙目になりながら、小さな声で「……ケン、ケン」と言った。 「声が小さい! お父さんお母さんに聞こえないよ! もう一回最初から!」
鈴木は焦っていた。昨年の発表会で、保護者から「うちの子の出番が少なかった」「セリフが聞こえなかった」というアンケートをもらっていたからだ。 (今年は絶対に失敗できない。完璧な劇に仕上げなきゃ)
鈴木は台本を片手に、立ち位置、セリフの間、手の動きまで細かく指示を出した。子どもたちは楽しんでいるようには見えなかった。まるで、鈴木という演出家の操り人形のように、正解を探してキョロキョロしていた。
「鈴木先生」 ピアノの伴奏補助に入っていた芦田先生が、練習の合間に声をかけてきた。 「随分と熱が入っていますね。まるで劇団四季の演出家のようです」
鈴木は汗を拭いながら答えた。 「笑い事じゃないですよ。保護者が見てるんです。グダグダな劇を見せたら、プロとして恥ずかしいじゃないですか」
芦田先生は不思議そうな顔で言った。 「プロとして? 私たちがプロなのは『演劇指導』においてですか? それとも『保育』においてですか?」
2. 誰のための舞台か
鈴木は言葉に詰まった。 芦田先生は続けた。 「鈴木先生。今の練習風景を見て、子どもたちは『表現すること』を楽しんでいるように見えますか?」
「それは……練習は厳しいものですから。本番で拍手をもらえれば、達成感があるはずです」
「大人が決めた通りの動きをして、大人が決めたタイミングで拍手をもらう。それは『達成感』ではなく、『安堵感(終わってよかった)』です」
芦田先生は、うなだれているユウマの方を見た。 「行事の目的は、保護者を喜ばせるショーを見せることではありません。子どもたちが『自分たちの力でやり遂げた』と実感することです。完璧なシナリオ通りに進むことが、本当に成功なのでしょうか?」
「でも、失敗したら親御さんが……」
「魔法を使いましょう。失敗を『失敗』に見せない、とっておきの魔法を」
3. 魔法その1:『プロセスの共有(ドキュメンテーション)』
翌日、芦田先生が提案したのは、劇の練習を変えることではなく、**「掲示板」**を変えることだった。
「鈴木先生、練習の過程(プロセス)を写真に撮って、毎日掲示しましょう」
鈴木は言われた通り、練習風景を写真に撮り、コメントを添えて廊下に貼り出した。ただし、「頑張っています」という綺麗な写真だけではない。 「セリフを忘れてアドリブで乗り切ったシーン」や「小道具が壊れてみんなで大笑いしたシーン」「衣装を自分たちで工夫して作ったシーン」など、試行錯誤の様子をそのまま見せたのだ。
タイトルは**『桃太郎ができるまで~失敗と大笑いの記録~』**。
すると、送迎時の保護者の反応が変わった。 「あはは、ユウマくん、こんな変なポーズしてたんだ!」 「みんなで話し合って決めたんだねえ」
本番前から、保護者は「完璧な完成品」ではなく、「子どもたちが頑張っている物語」に共感し始めていた。 これによって、「失敗してはいけない」というハードルが下がり、「この過程を見守ろう」という温かい空気が醸成されたのだ。
4. 魔法その2:『失敗の演出(インプロビゼーション)』
そしてもう一つ。鈴木は台本への執着を捨てた。 「一字一句間違えるな」という指導をやめ、**「困った時は助け合おう」**というルールに変えたのだ。
練習中、桃太郎役の子がセリフに詰まった。 以前なら鈴木が「そこは『鬼退治に行くぞ』でしょ!」と口を出していた場面だ。 しかし、鈴木はグッとこらえて待った。
すると、サル役の子が近寄って言った。 「ねえ桃太郎さん、鬼ヶ島行くんじゃない?」
桃太郎役の子はハッとして、「そうだった! 鬼ヶ島へ行くぞ!」と叫んだ。 周りの子どもたちが「おー!」と続く。
鈴木は感動した。台本通りではない。でも、子どもたちの言葉で劇が繋がった。 「今の、すごくかっこよかったよ! 本番もセリフ忘れたら、誰か助けてあげてね」
子どもたちの顔に、やらされている「緊張」ではなく、自分たちで作る「責任感」と「ワクワク」が戻ってきた。
5. 予定調和じゃない拍手
そして迎えた本番当日。 講堂は満員の保護者で埋め尽くされている。
劇の中盤、ハプニングが起きた。 鬼が登場するシーンで、鬼役の子が転んでしまい、金棒がステージの下に落ちてしまったのだ。 会場が一瞬、静まり返る。 (あぁ、止まった……!)鈴木は袖で青ざめた。
しかし、鬼役の子は泣かなかった。 舞台上の桃太郎が、アドリブで叫んだのだ。 「鬼さん、武器がないなら、相撲で勝負だ!」
鬼役の子も立ち上がり、「望むところだ!」と構えた。 本来の「チャンバラ」ではなく、急遽「相撲大会」が始まった。
会場の保護者からは、どっと笑いと、割れんばかりの拍手が巻き起こった。 それは、「完璧な演技」への賞賛ではなく、子どもたちの**「機転とチームワーク」**への感動の拍手だった。
6. エピローグ:最高のドキュメンタリー
幕が下りた。子どもたちは興奮して抱き合っている。 「相撲、楽しかったね!」 「お母さんたち笑ってたね!」
鈴木は、涙を拭いながら子どもたちを迎えた。 「みんな、最高だったよ。先生の台本より、ずっと面白かった」
片付けの最中、ある保護者が鈴木に声をかけてきた。 「先生、掲示板の写真を見てたから、あの子たちがどれだけ工夫してきたか分かって、涙が出ました。転んだのも含めて、最高のお芝居でした」
事務室で、芦田先生が温かいお茶を淹れてくれた。 「鈴木先生。保育士の仕事は、完璧なシナリオを書くことではありません」
「はい。子どもたちがシナリオを書き換える力を、信じて待つことですね」
鈴木の手元にある台本は、もうボロボロだった。 しかし、今日子どもたちが見せた笑顔は、どんな名作劇よりも輝いていた。
【第8章の解説:行事指導の脱・不適切保育】
- 「見せるための保育」の弊害
- 行事が「保護者満足」のためになると、保育士は「鬼演出家(指導者)」になり、子どもは「演者(道具)」になります。過度な練習や叱責は、子どもから表現する喜びを奪い、保育嫌いにさせる最大のリスクです。
- プロセス(過程)の価値
- 近年の保育(レッジョ・エミリアなど)では、完成品よりも**「ドキュメンテーション(活動の記録)」**を重視します。失敗や話し合いの過程を保護者と共有することで、本番の出来栄えに左右されない、本質的な評価を得ることができます。
- 主体的な表現(インプロビゼーション)
- 「セリフを覚えること」ではなく、「役になりきって表現すること」「仲間と協力すること」が行事のねらいです。トラブルが起きた時こそ、子どもたちの「生きる力(問題解決能力)」が発揮されるチャンスだと捉え直す視点が必要です。



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