『保育の魔法』

読み物・雑記

第1章:支配からの解放

~「動かそう」とする心を捨てる時~

1. 沈黙の保育室

午後2時。昼寝の時間(午睡)。 中堅保育士の**鈴木(すずき)(38歳)**は、布団の上でゴソゴソと動き続ける4歳の男児、リクの背中を、苛立ちと共にトントンと叩いていた。

「早く寝なさい。みんな寝てるでしょ」

その言葉には、明らかに威圧的な響きがあった。リクは体を強張らせ、さらに目を固く閉じたが、その表情は安らぎとは程遠いものだった。 鈴木は心の中で舌打ちをした。 (人手が足りない。書類が終わらない。安全確保のためには、言うことを聞かせなきゃいけないんだ……)

「管理」こそが「保育」だと思っていた。そうしなければ、現場は回らないと信じていたからだ。 そんなある日、園長から一人の臨時職員を紹介された。 定年退職後、フリーとしてやってきたというその保育士、**芦田(あしだ)**先生は、小柄で穏やかな笑顔を浮かべていた。

しかし、鈴木はまだ知らなかった。この保育士が、荒れ果てたクラスを一瞬にして変える「魔法」使いであることを。

2. 崩壊への序曲

数日後、鈴木のクラスはカオス状態だった。 片付けの時間になってもブロックを投げ合う子どもたち。鈴木が大声で「やめなさい!」と怒鳴ると、一瞬静まり返るが、すぐにまた騒ぎ出す。イタチごっこだった。

(なんで言うことを聞かないんだ。ナメられてるのか?)

その時、芦田先生がふらりと騒ぎの中心に入っていった。 芦田は怒鳴らなかった。ただ、ブロックを投げようとした子どもの前に座り込み、目線を合わせ、何かをささやいた。 すると、その子はスッと手を下ろし、自ら片付けを始めたのだ。一人、また一人とそれが伝播していく。 まるで波が引くように、保育室に落ち着きが戻った。

呆然とする鈴木に、芦田先生は静かにお茶を淹れながら言った。

「鈴木先生、子どもたちを『動かそう』としていませんか?」

「動かそう……? それが指導じゃないんですか? 危ないときは止めなきゃいけないし」

「それは指導ではなく、**『支配』**です」

芦田先生はきっぱりと言った。 「子どもは、自分をコントロールしようとする大人の気配を敏感に察知します。そして、その力に対抗するために荒れるのです。不適切保育の根っこは、大人の『思い通りにしたい』という焦りにあります」

「でも、どうすれば……」

「魔法を使いましょう。子どもが自ら『そうしたい』と思える魔法を」

3. 二つの魔法

芦田先生は、混乱する鈴木に2つの具体的な魔法(メソッド)を授けた。

魔法その1:『実況中継(ナレーション)』

「まず、否定命令をやめましょう。『走るな』『投げるな』と言われると、子どもは反発するか萎縮します」 「じゃあ、なんて言えばいいんですか?」 「事実をそのまま言葉にするのです。『すごい速さで走っているね』『ブロックを投げようとしているね』と」 「それだけですか?」 「それだけです。人は自分の行動を実況されると、ハッと我に返ります。これを『認知』と言います。我に返った瞬間に、『どうしたかったの?』と問いかけるのです」

魔法その2:『3秒の空白(ポーズ)』

「そしてもう一つ。鈴木先生、あなたは子どもが何か言う前に答えを言っています。『ダメでしょ』『座りなさい』と。これをやめましょう」 芦田先生は人差し指を立てた。 「子どもが何か不適切な行動をした時、3秒間、黙って目を見つめてください。 怒った顔ではなく、困った顔でもなく、ただ『待っていますよ』という穏やかな顔で」

4. 初めての実践

翌日、鈴木は廊下を走るリクに試してみた。 いつもなら「こら!」と怒鳴りつける場面だ。鈴木はグッとこらえ、リクの前に立ちはだかり、3秒間黙って目を見た。

(1、2、3……)

リクは「怒られる!」と身構えたが、言葉が飛んでこないので不思議そうに立ち止まった。 そこで鈴木は、芦田先生に言われた通りに言ってみた。 「リク、すごく速く走ってるね」

リクは驚いて鈴木を見た。「……うん。トイレ、漏れそうだったんだ」

鈴木はハッとした。怒鳴りつけていたら、この理由は聞けなかっただろう。 「そうか、それは急ぐね。でも、廊下は歩こうか」 リクは「うん」と頷き、早歩きで去っていった。怒鳴る必要も、腕を掴む必要もなかった。

(これが……魔法か)

鈴木の手には、怒鳴った後の嫌な疲労感が残っていなかった。代わりに、リクと心が通じたような、小さな温かさが残っていた。 支配から解放された保育室への第一歩を、鈴木は踏み出したのだった。

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第2章はこちら

「この物語は、中村信仁氏の名著『営業の魔法』の構成をリスペクトし、オマージュして執筆した保育版のフィクションです。」

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