第6章 深掘り解説

読み物・雑記

テーマ:時間認知の発達と、焦りが奪う「微細運動」

1. なぜ「急いで」と言うと、逆に遅くなるのか?

物語の中で、靴下を履こうとするソウタ君に鈴木先生が怒鳴ると、余計に足が入らなくなりました。これは心理的な問題だけでなく、身体的・生理的なメカニズムです。

  • 微細運動(Fine Motor Skills)の麻痺
    • ボタンを留める、靴下を履く、箸を使うといった指先の動作は、脳の高度な指令が必要な微細運動です。
    • 「早く!」と怒鳴られると、子どもはストレス(交感神経優位)を感じ、筋肉が緊張して強張ります。
    • 結果: 指先が震えたり、力加減のコントロールが効かなくなったりします。物理的に「不器用」な状態を、大人の怒鳴り声が作り出しているのです。
  • ワーキングメモリのフリーズ
    • 「急いで」「帽子かぶって」「靴下履いて」と一度に指示を浴びせられると、脳の作業台(ワーキングメモリ)がパンクします。
    • 何から手をつけていいか分からなくなり、結果として「ぼーっとする(フリーズ)」状態に陥ります。

2. 子どもに「時間の概念」はない

大人は「あと5分」と言われれば時間を予測できますが、幼児の脳はまだ**「時間の概念」**を獲得していません。

  • 「今」しか生きていない
    • ピアジェの発達段階論的にも、幼児は「現在」に集中しています。「未来(遅刻する)」や「過去(昨日も遅かった)」という感覚は希薄です。
    • そのため、「遅刻するよ!」という脅しは、子どもにとって「よく分からないけど先生が怒っている」という恐怖でしかありません。
  • 「量」としての時間
    • 子どもにとって時間は、時計の数字ではなく「量」や「出来事」です。
    • 「長い針が6になったら(視覚的量)」「お片付けの音楽が鳴ったら(聴覚的合図)」という、具体的なサインでしか時間を認識できません。

3. 魔法その1:「見通しの予告」と脳の準備体操

事前のカウントダウンや予告が有効なのは、脳の**「実行機能(Executive Function)」**を助けるからです。

  • セット・シフティング(切り替え機能)
    • 脳には、一つの作業から別の作業へ注意を切り替える機能があります。
    • 遊びに没頭している脳は、フルスピードで走っている車と同じです。急に「止まれ(片付けろ)」と言われても急ブレーキは踏めません。
    • 「あと少しで終わりだよ」という予告は、「そろそろブレーキを踏む準備をしてね」という信号です。これにより、スムーズな停車(活動の切り替え)が可能になります。

4. 魔法その2:スキャフォールディング(足場かけ)

鈴木先生が「靴下を奪って履かせた」行為と、「横で一緒に履いた」行為の違い。これはヴィゴツキーの**「発達の最近接領域(ZPD)」**に関わります。

  • やってあげる(奪う)=成長の阻害
    • 大人がやってしまえば一瞬で終わりますが、それは「子どもが自分でできるかもしれない領域」を奪う行為です。
    • これを続けると、「どうせ先生がやってくれる(学習性無力感)」を覚え、いつまでも着替えられない子になります。
  • スキャフォールディング(足場かけ)
    • 子ども一人ではできないけれど、大人が少し助ければできる領域。
    • 「ドングリ拾いに行こう」と動機づけをしたり、靴下のかかとを少しだけ引っ張ってあげたりする支援がこれにあたります。
    • 「自分で履けた!」という**自己効力感(Self-efficacy)**こそが、次の「また自分でやろう」という意欲のエネルギー源になります。

【まとめ:明日からの実践ポイント】

従来の対応(急かす)明日からの対応(待つ・促す)科学的・心理的根拠
「早くして!」 (プレッシャー)「よーいドン!」 (ゲーム化)交感神経の緊張を解き、ドーパミン(意欲)を出す
「あと5分!」 (抽象的時間)「長い針が6になったら」 (視覚的合図)時間感覚が未熟な脳に、具体的な「量」で伝える
大人が全部着替えさせる (代行)「あとちょっとだ、頑張れ」 (応援・部分介助)スキャフォールディングにより「自分でできた」経験を作る

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