『保育の魔法7』

読み物・雑記

第7章:凸凹(デコボコ)の輝き

~「困った子」は「困っている子」~

1. 輪からはみ出すピース

朝の会。20人の子どもたちが椅子に座り、先生の話を聞いている。 ……いや、19人だ。

5歳のレンだけが、部屋の後ろでミニカーを走らせながら、独り言を呟いていた。 「ブブー、ガガガ……」

鈴木の声が飛ぶ。 「レンくん! 座りなさい! みんなお話し聞いてるよ!」

レンは聞こえていないかのように遊び続ける。鈴木が近づいて腕を引くと、レンは「ギャー!」と奇声を上げて手を振り払った。 その声に驚いて、他の子どもたちもざわつき始める。

(あぁ、まただ。レンがいるとクラスがまとまらない……)

鈴木は疲弊していた。レンは集団行動が苦手だ。じっとしていられないし、興味のあることには過集中になり、切り替えができない。 いわゆる「グレーゾーン(発達の特性が気になる)」の子どもだった。

昼休憩。鈴木は事務室で愚痴をこぼした。 「芦田先生、正直キツイです。レンくんに合わせていると、他の19人が待たされるんです。『和を乱す子』をどう指導すればいいんでしょうか」

芦田先生は、日誌の手を止めて静かに言った。 「鈴木先生。レンくんは、和を乱そうとして乱しているわけではありません。彼は今、溺れているのです

2. 「困った子」の正体

「溺れている……?」

「ええ。先生は彼を『困った子(Problem Child)』だと思っていませんか?」 図星だった。鈴木は黙り込んだ。

「そうではなく、彼は今、**『困っている子(Child in Trouble)』**なのです」

芦田先生は続けた。 「彼の脳内では、蛍光灯の光がフラッシュのように眩しかったり、先生の声と外の車の音が同じ音量で頭に流れ込んだりしています。感覚の洪水の中で、自分の身を守るために、必死で耳を塞いだり、体を動かしてバランスを取ったりしているのです」

「身を守るために……ふざけているんじゃなくて?」

「はい。それなのに『座れ』『静かにしろ』と抑えつけるのは、溺れている人に『暴れるな、じっと沈んでいろ』と言うのと同じです」

3. 魔法その1:『リフレーミング(枠組みの転換)』

「彼を変えようとするのはやめましょう。無理に変えれば、二次障害(自己否定や暴力)を招くだけです。変えるべきは、私たちの『メガネ』です」

芦田先生は、一つの魔法を提案した。

「レンくんの行動を、別の言葉で言い換えてみてください」

「え? 『落ち着きがない』ですか?」 「それはネガティブですね。ポジティブに言うと?」 「ええっと……『行動力がある』?」

「正解です。では『こだわりが強い』は?」 「……『探究心が強い』?」 「素晴らしい。『わがまま』は『自分を持っている』。『奇声を上げる』は『エネルギーが溢れている』」

芦田先生は微笑んだ。 「これが**『リフレーミング』**の魔法です。凸凹の『凹(へこ)』んでいる部分を見るのではなく、『凸(でぱ)』っている部分を見る。そうすれば、彼は『排除すべき異物』から『活かすべき才能』に変わります」

4. 魔法その2:『クールの花道(逃げ場所の確保)』

翌日の製作の時間。 全員で折り紙を折る活動だ。レンがイライラし始めたのが分かった。手先が不器用なレンにとって、細かい折り紙は苦痛なのだ。 以前なら「頑張って折ろう」と励まし(強制し)ていただろう。

しかし、鈴木は芦田先生と相談して、保育室の隅に**『カーム・ダウン・エリア(落ち着く場所)』**を作っていた。ダンボールで囲った、一人になれる静かなスペースだ。

鈴木はレンに小声で伝えた。 「レンくん、ここが難しかったら、あっちの基地で休んでいいからね」

レンはパッと顔を上げ、折り紙を置いてそのスペースに入っていった。 「サボり」ではない。「戦略的撤退」だ。 数分後。クールダウンして気持ちが落ち着いたレンは、自分から戻ってきた。 「先生、ここだけやって」 「よし、ここは手伝うよ」

暴れることも、奇声を上げることもなかった。 「逃げ場所」があるという安心感が、レンの心を安定させたのだ。

5. 公平(Equity)とは何か

夕方の集まり。レンは相変わらず座っていなかった。 しかし、鈴木はもう怒鳴らなかった。 レンには、「一番後ろで立って聞いてもいい」という特別ルールを作ったからだ。レンは体を揺らしながらではあるが、しっかり鈴木の話を聞いていた。

他の子が言った。「ズルい! レンくんだけ立ってる!」 鈴木は、みんなにこう説明した。

「みんな、聞いて。目の悪い子がメガネをかけていたら『ズルい』って思うかな?」 「思わない」 「そうだよね。レンくんは、座っているよりも立っている方が、お話がよく聞こえるんだって。だから、これはレンくんにとっての『メガネ』なんだよ」

子どもたちは「ふーん、そっか」と納得した。 子どもは大人が思うよりずっと柔軟だ。大人が「特別扱い」を「ズルい」と思っていなければ、子どもたちもそれを「その子に必要なこと」として受け入れる。

6. エピローグ:凸凹が噛み合う時

帰り際、レンが鈴木のところに走ってきた。 「センセ、これ!」 レンが渡してきたのは、折り紙の裏に描かれた絵だった。ものすごく緻密な、迷路のような模様。 「すごいな! これレンくんが描いたの?」 「うん! センセにあげる」

レンは満面の笑みで帰っていった。 鈴木はその絵をデスクに飾った。 「みんなと同じ」にさせようとしていたら、この才能は潰されていたかもしれない。

事務室で芦田先生が言った。 「凸凹(デコボコ)のないパズルなんて、つまらないですよね。出っ張っているからこそ、誰かと繋がれるんです」

鈴木は深く頷いた。 クラスは、均質な工場の製品ではない。色とりどりの、形の違うピースが組み合わさってできる、一枚の絵なのだ。

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