テーマ:衝動性のコントロールと環境という名の「第3の保育者」
1. なぜ「噛む」のか? ~脳の未発達とショート回路~
もくじ
物語の中で芦田先生は「言葉の通じない外国人」と表現しましたが、脳科学的にも1~2歳児の状態はまさにそれです。
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- 扁桃体(感情)の暴走
- 「欲しい!」「嫌だ!」という感情を生み出す**大脳辺縁系(扁桃体など)**は、生まれた時から活発に働いています。
- 前頭前野(理性)の未熟さ
- 一方で、「我慢する」「言葉に置き換える」「相手の気持ちを想像する」という理性のブレーキ役である前頭前野は、この時期まだ工事中です(完成するのは20代と言われています)。
- ショート回路
- 強いストレスや欲求(入力)があった時、理性(ブレーキと言語化)を通らず、直接筋肉(顎や手)へ指令が飛んでしまう状態です。
- つまり、**「噛もうと思って噛んでいる(悪意)」のではなく、「感情が爆発したら口が動いていた(反射)」**に近いのです。これを叱っても、本人は止めようがありません。
2. 「ごめんなさい」の強要が危険な理由
トラブルの後、無理やり頭を下げさせる「謝罪の儀式」は、多くの現場で行われていますが、心理学的には逆効果な場合が多いです。
- 反省ではなく「処世術」の学習
- 2歳児に「罪悪感」や「道徳」の概念はありません。
- 怖い顔の先生に「謝りなさい!」と迫られた子どもは、「『ゴメンナサイ』という呪文を唱えれば、この恐怖から解放される」と学習します。
- これは**「その場しのぎの嘘」**を教えているのと同じです。
- 共感性の欠如
- 必要なのは謝罪の言葉ではなく、「相手が痛がっている事実」への注目です。
- 保育士が被害者に優しく接する姿を見せること(モデリング)で初めて、「あ、悪いことをしたのかな」という感覚が芽生えます。
3. 魔法その1:「代弁(翻訳)」によるカタルシス
芦田先生が行った「『貸して』だったね」という代弁には、心理療法における**「妥当化(Validation)」**の効果があります。
- 感情の肯定 ≠ 行動の肯定
- ここが最大のポイントです。「噛んだこと」は止めますが、「悔しかった気持ち(動機)」は100%肯定します。
- 「悔しかったね」と言われた瞬間、子どもの脳内で「自分の気持ちが伝わった」という安心感が生まれ、興奮物質(アドレナリン等)の分泌が収まります。
- 言語回路の強化
- 衝動が起きるたびに、保育士が正しい言葉(「貸して」「やめて」)を添えることで、脳内に**「感情と言葉を結ぶ回路」**が配線されていきます。
- これを繰り返すことで初めて、噛む前に言葉が出るようになります。
4. 魔法その2:「環境構成」という第3の保育者
トラブルが頻発する場合、原因は子どもではなく「部屋」にあることが多いです。イタリアのレッジョ・エミリア・アプローチでは、環境を**「第3の保育者」**と呼びます。
- 密度と攻撃性
- 行動生態学の実験でも、狭い空間に個体数が増えすぎると、攻撃性が増すことが分かっています。
- 「何もない広いスペース」は一見良さそうですが、子どもは走り回り、動線が交錯し、衝突事故(トラブル)の温床になります。
- ゾーニング(コーナー保育)の効果
- 棚などで空間を区切り、「静」と「動」のエリアを分けます。
- **「背中が守られている(壁がある)」**空間では、子どもは心理的に安定し、目の前の遊びに集中できます。集中している子は噛みつきません。
- おもちゃの数(同じものを複数用意)
- この時期は「貸し借り」はまだ難しい発達段階です。「同じ赤い消防車を3台用意する」といった物理的な解決策が、精神論よりも有効です。
【まとめ:明日からの実践ポイント】
| 従来の対応(裁判官) | 明日からの対応(翻訳家) | 脳科学的・環境的根拠 |
| 「ダメ!噛んじゃダメ!」 (制止のみ) | 「貸して欲しかったね」 (代弁) | 感情(辺縁系)を受容し、理性の回路(前頭葉)を育てる |
| 「謝りなさい!」 (強制謝罪) | 被害者のケアを優先する (モデリング) | 「痛み」への共感を育て、処世術としての謝罪を防ぐ |
| トラブル後に叱る (事後処理) | エリアを区切り、死角をなくす (環境予防) | 過密によるストレス(攻撃性)を物理的に防ぐ |



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