何故、学校は詰め込み式の学校教育になったのか。

考察

考えたことあります?何で学校は詰込み式の学習方式なんだろうかと。。

せっかく子供主体の保育をしていても、小学校に行くと急に管理型の詰め込み式教育になってしまう・・・なんでー!?ってなりませんか?

何故学校教育は、詰込み式の教育になったのかについて紐解いてみよう。

キーワードは「近代化」

明治時代。

世界に追いつこうと近代化を行おうと奮闘したんです。日本。明治政府。

「大事なのは国民の教育だー!」って事で教育システムへの改変へ着手した。

実は・・近代化される前の日本の教育は、スペシャリストを作る教育だった。

どういう事??

※農家や店の跡継ぎなど、将来のやるべき事がほぼほぼ決まっていた時代。何か新しい事を行うのではなく、その将来に向けて、やるべき事をとことん突き詰めていた。八百屋は野菜をどうやったら売れるか?を突き詰める。桶屋は桶をどれだけうまく作れるか!を突き詰める!

このように、自分のやる事をとことん突き詰める教育だった。それぞれが、自分のやることに長けており、それを突き詰めていた。

しかし、それでは近代化は難しい

何故なら、学びの土台が無かったから。学びがバラバラだから・・・

専門的な事は強いが、それ以外は・・・全く駄目

そんな状態。

このままじゃ駄目だ!って事で、国民全体で教育の土台作りを行うようになった。

近代化の基盤を作るのだ!

そこで明治政府が行った事を3つ紹介。

《知識の定着》

知識をとにかく定着させたい!!

覚えてもらいたい!!そのために大事な事は、、何度も繰り返し行う事。

そして生まれたのが『皆で知識を共有し、反復で覚えさせる教育法』

とにかく、平等に学ぶ機会を与え繰り返し行うことで知識を定着し国民の知識レベルを上げていった。

《教育の効率化》

昔の教育は子ども一人に対して、家族みんなで、一人を教えていた。

家族みんなで丁寧に時間をかけてひとりに教える事でスペシャリストを作ってきた。

しかしそれでは、近代化をするには効率が悪い。

国民全体に教育を行う必要があった。

家族(数人)で一人を育てる???いやいや!そうじゃなくて、一人が沢山を教えれば効率良くない?

ということで、一人で複数人を教えるシステムを構築。

秩序、ルールを作った。

一人で大勢の子ども達を教えようと思ったが、いくら子ども達集めて教え込もうとしても、それぞれてんでバラバラで言ってる事を聞いてくれない。

今までは、やりたいな。と思った事だから一生懸命やってきたのに、やりたくもない勉強をさせられるんだから、それは「てんでばらばら」になる。

そこで必要になったのが秩序。ルール。

個性??ダメダメ!大事なのは画一的な集団!

《他者との比較で競争をさせ動機付け》

ところがどっこい、ルールを強いたところで守るはずもない。

そのルールを守る事は良い事だという動機付けをして行かなければならない・・。

人間何かをするときには、動機がとても大切!動機もなくやらされてることは、楽しくないしやる気もでない。ルールも守らない。

その動機を「他者と比較して競争させる」事で作っていった。

学びの成果を点数で表し、見てわかるようにした。

他者よりもっと上に行きたいという気持ちを動機に出来るようにしていった。

近代化以前は自分がやりたいと思う事が動機でした。

目標が身近におり、「父親のようになりたい!」「こうして作りたい!」などの動機が自然にあった。

目標が個々に合った為、それぞれがやりたいという気持ちで取り組み、それを突き詰めていた。

近代化を進めるにあたり、知識を入れる事、学ぶ事が優先されると、意欲や動機が無い。

意欲や動機が無いと自ら学ぶ事が出来ない。

そこで他者と比較し、競争させる事で過熱させそれを動機にしようと考えた。

主体的な学びや関わりは近代化以前の良いところ。

秩序とルールは現代人になる為の大事な土台。

そういう背景があることを知れて良かった!

上手くハイブリットしていきたいなぁ。

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